「米」に携わる質問の奥深さ・・

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稲刈りしました♪

「バケツ稲は難しい?」苗、到着編
バケツ稲に育つもの~生き物編
バケツ稲、土作り編
稲の赤ちゃん🎶

ただ・・。
お中元ギフト時期の繁忙期で、完全に収穫時期を外してしまった感は
否めません(泣)。

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カメムシも大喜びの様子で広がっていました。
がっつり金武inお米マイスターの稲刈り

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ほっとくこともできないので、心待ちにしていたスタッフと
稲刈りを決行したということです。

1株ずつ刈り、束ねて結んでいきます。

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干します。

台風の影響などで風が強く、時折すごい大雨になったりするので
軒下の比較的日当たりの良いところに場所を借りました。

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なんとなく「カタチ」にはなってます(笑)。

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「収穫してすぐ食べれるんじゃないんですね。
米を作るって手間かかるんですね」とつぶやいたコがいました。

そう、米作りは”八十八の手間がかかる”と言われています。
そのことから、8月18日は”米の日”となっているワケです。

そんな話をしながら、一息ついたころ。

スタッフの1人が
「なんで米国は”米”って書くんですかね」
と、またつぶやきました。

「・・・。」
なんでだろう!!
米はなぜ白いのか?」と聞いてきた小学生の質問の次に
新鮮な衝撃でした(▽//)。

アメリカは、なぜ米国「米」と書くのか?

ご存じのとおり、アメリカは、「亜米利加」と書きます。
頭文字をとると「亜」ですが、これじゃ「亜細亜」(アジア)と混同する、
ということで、二文字目の「米」な訳という答えはyahoo!先生にも
多く記載がありました。

ついでに、わかりにくい外国を表現した漢字は
「豪」=オーストラリア
「西」=スペイン
「越」=ベトナム
「墨」=メキシコ
「伯」=ブラジル
「葡」=ポルトガル

と続くようです。

しかし、これまた疑問です。
その漢字は何時頃に誰がきめたんでしょうか。

そこから私の迷宮入りがはじまりました。

仏蘭西や亜米利加などは外国の国名を漢字表記する歴史を見たら
ごくごく最近の部類に入るそうです。

江戸時代にはすでにオランダ語やスペイン語、ポルトガル語の辞書が
完成されていましたが、そこに表記されている国名は
そのときに決定されたものではなく、江戸時代の辞書やその元となる
節用集で広く紹介されてきたものだそうです。

国名を含め外来語が日本に紹介されるのは
中国語経由、オランダ語経由、インド語経由、ポルトガル語経由、
韓国語経由、東南アジア諸国語経由など、実に遠くは奈良時代以前に
文献を求めることができるというから驚きです。

さて、江戸時代の辞書の元となった節用集ですが、これは
「室町時代に作られた実用的国語辞書。著者不明。ことばの読みから
それに当たる漢字を求めるようにしてある。簡便なため、
江戸時代に広く用いられた。」と定義されています。

15世紀室町時代に作られた節用集の中にはすでに「印度インド」の文字が見えます。
この節用集には節用集祖本から転写された「伊勢から始まる伊勢本」と、
なんと「印度から始まる印度本」がありました。

さらに時代を遡ると、この節用集の元となった下学集、聚分韻略にその源を求めることができます。

『聚分韻略』は五山の禅僧・虎関師錬の撰になる日本で最初の韻書。
平声二巻、上声、去声、入声 各一巻の全五巻、百十三韻に、
更に乾坤、時候等の十二部門に分けてのち、各字に加注。
韻書や作詞の参考書として以後よく用いられたのみならず、
『下学集』、『節用集』、『塵芥』など後行辞書編纂への影響は多大なものがある。

昔の日本人が渡来の人々によって諸外国の存在や文化、国名を知り、
それを漢字により表記した積み重ねが脈々と江戸時代、明治時代へと伝えられ、
その時代の人々はそれを使ってきたのです。

その一部が現代でも使われているというのはすごいことです。
しかし、「何時頃に誰が?」と特定する事は出来ませんでした。

明治以降1945年前後に至る間に外国国名の漢字表記に関して、
法律・政令・省令等何らかの定めが有ったか否かも確認出来ず、
又戦後外務省では在外公館名称位置法等によって外国国名のカタカナ表記が
規定されてます。

でも、現在外務省内部と日本の在外公館との間で電報のやり取りをする際は、
外国国名を漢字一文字で表記(アメリカ合衆国の場合は「米」)する「慣例」が有り、
主要国に限らず「全ての国毎に各々対応する漢字一文字が、慣例的に定められています」。

これらの漢字が何に由来するかと言えば、結局は中国が長い歴史の中で
交易・外交上必要に迫られて、その都度音訳され普及した漢訳表記が
書物・地図等を介して断続的に我が国にもたらされたものが大部分を占めると思います。

勿論、明治以降には中国経由とは別の新たな外国国名・地名の漢字表記を必要とする場面も
生じた事でしょうから、その時は日本独自に音訳して対応したものと思われます。

「亜米利加」を例にあげれば、ペリー提督が開国を迫って寄港した1854年の瓦版には、
ペリーの似顔絵に「米利幹(メリケン)」と注釈され、
1862年の幕府文書では「亜米利加」と表記され、
1871年の木戸孝允渡航日記には「米国」・1878年の報告書には「米欧回覧実記」と記され、
1905年明治天皇がルーズベルト大統領に送った書状の宛名が「北米合衆国」と記される等
表記が複数存在したようですが、元は中国で音訳された「亜米利加」「亜美利加」の
表記からの様子です。

外国地名等の漢訳は日本でもつくられたようですが、中国の影響を強く受けています。
中国における外国地名の翻訳法は外来語が意訳されることが多いのに対し、
地名は人名に見られるように固有名詞は訳してはいけないという原則があって
音訳されることが多いようです。

又例えば「葡萄牙(ポルトガル)」は現代中国音ではプータオヤアですが、
福建語ではポルトガルに近くなると言う具合に-陸路よりも海路の交易が増加した為か、
中国に入って来た外来事物は主に南方の方言(広東語・福建語等)に音訳されていたようです。

尚、イタリアのイエズス会士マテオ・リッチ(1552~1610)は、
中国での布教活動の一助として中国人に受け入れ易いよう世界の真ん中に中国を配置し
又漢字で地名や説明を表記した木版製の世界地図「坤興万国全図」(1602年)を出版しました。

この地図は、同じく漢字を理解し隣に位置する日本人にも役立つものとなったようです。

日本で最初にマテオ・リッチ系地図が刊行されたのは1652年の「万国総図」(作者不明)
と言われていますが、その後も朱子学者等により修正が加えられ
繰り返し刊行されたようです。
別路線で蘭学者が製作した地図も存在したようですが、
当時幕府は朱子学を官学と位置付けていた事を思えば、外国地名・国名の漢字表記に関し
中国直伝の書物等を除けば-間接的にマテオ・リッチの地図が果たした役割は
大きかったように思います。

基本的にはあて字と言われているようで、また驚きでした。

「オーランダ」から「蘭」という文字があてがわれていったように、
江戸から明治にかけて世界の国々と交流が盛んになっていくに連れ、
色々とあて字で国名がふりあてられていったようです。
現在では、逆に、これが、外来語を表す言葉として、一般的に知られている表記法として、
認知を受けています。

確実ではありませんが、森有礼(初代文部大臣)とか森林太郎(鴎外)夏目漱石、
永井荷風などの洋行組(ヨーロッパや諸外国に行った文化人)が、
その国の雰囲気を上手に伝えるように漢字をわりふりしていったのが、
現代に至っているのではないでしょうか。

1.中国での表記がそのまま日本に伝わった。
2.昔(江戸時代以前)は漢字が公式な文字で、
かな文字は婦女子や教養のない者が使う文字とされたので、
外国の国名等を漢字で表現した。

奥が深すぎて、やや闇です。

「芽とか目とかでも良かったんではないのか?なぜあえて米にしたんだろう。
亜米利加が語源とか、メリケンが語源だとかは知ってる・・。」
そんな少しひねくれながら調べていきましたが(笑)、
漢字で外国」を見てると
ふと感じたことがありました。

「アメリカ(亜米利加)と同じく「メ」がつくと
何で書かれているんだろう?」

メキシコ 墨西哥
メジナ 麥地拿
メソポタミア 米所並大迷亜
メッカ 麥加
メッシーナ 墨西拿
メディア 馬太
メラネシア 新貌利顛
メリケン 米利堅
メルボルン 瑪母綸

そう、「芽」や「目」より、同じように「米」が登場している。
しかも、もしかすると英語での発音で
「(あ)めいりけん」と聴こえ、”めい⇒米”にしたのではなだろうか?
そして何より「芽」や「目」より身近だったからではないだろうか?

というのが、自分なりの感想です。

この、使われなかった芽や目、
旧漢字までさかのぼったら何かヒントがあるのかもと思い、
”芽 旧漢字”で検索してみました。

芽

さかのぼりすぎです(汗)。

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