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佐敷グスクから見下ろした景色

人気のない、少しさびれたという言葉が合ってしまうような場所。

記憶から遠のいてしまったような、小高い丘にありました。

佐敷グスクに入ると見える鳥居をくぐると

遠目で見ると、茂った木々の中に鳥居が見えます。

沖縄の東廻というもので廻る場所の1つ沖縄に数多くある「御獄」という場所とは

近づくにつれて、なかなかの大きさに少し圧倒される空気感。

南城市の佐敷城は、どういう場所なのか

佐敷グスク。

琉球三山を統一した尚巴志とその父・尚思紹によって
築かれた居城そのことでした。
尚巴志が佐敷から首里へ居城を移す際に、城郭の石を全て運び出して
首里城建設に使用したと言われ、現在では内原の殿(うちばるぬとぅん)、
カマド跡などは残っていますが、沖縄各地のグスクに見られるような石垣は
発見されていません。
敷地内には、尚巴志の500年祭を機に尚氏一族を祀った月代宮(つきしろのみや)が
建立されています。

こないだの久高島からの帰り道に
なんとなく立ち寄った場所でした。

沖縄で聖地と名高い久高島近くにある佐敷グスクとは

拝殿とあり、その奥に祠が見えました。

通りにある大きな鳥居が入口で、そこを車で登っていくと
この場所にたどり着きました。
沖縄にも神道の神社はありますが神社以外ので御嶽の入り口にも
鳥居が立てられています。
これは明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、
本来のものではないそうです。
沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いそうですよ。

たぶんムスメが「気になる、行きたい」と言わなけれな
行かなかったであろう場所でした。

なぜあえてここの記事を追加したのか・・。

久高島を綴った最後に
「実はこのあとも、少し不思議な体験をしたのですが、
また機会があれば綴ってみようと思います。」
と終えた、その続きなんです。

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冒頭の鳥居などの写真、覚えてますか?

そして、数年前にムスメがひたすら描いていた絵がこれです。

 

つきしろの宮 イラストimg_2795うさぎと鳥居、鳥居に魅せられたイラストを描いてみた

同じイメージを何度も描いていました。
(ラフでは、この大きな鳥居の奥に広がる光景も似ていたんですが
そのラフは捨ててしまったようでした。)

南城市にある月代宮

訪れた場所は「月代宮」

ムスメの描いたものは「月宮(月の宮)」だそうです。

このいくつかの符号と、久高島を出たとき港に停めていた車の屋根に
広がる塩の粒のこともあり、少しばかり神妙な気持ちになってしまいました。

実は、この月代宮のうしろにひっそりではありますが、
本来あった拝所ではないだろうかと言われているところがあるのを知ったのです。

本殿の裏手には上グスク之嶽があり、東御廻りの拝所の一つになっているということを
調べると出てくるのですが・・このときは何も知らず。

東御廻り、この日はそのスタート地点の久高島を訪れたばかりで
波長が高かったのかもしれません。

↓東御廻りとは

国王自らがとりおこなった聖地巡礼は200年余りで廃止されますが、
聞得大君による「東御廻り」はその後も長く続けられたといわれています。
琉球の神々に仕え、王国に平和とやすらぎをもたらした聞得大君は、
今日、琉球の精神文化の象徴「東御廻り」のシンボルともいえるでしょう。

現在伝えられている「東御廻り」のコースは、琉球王国が国家的祭祀ルートとして
指定したもの。
首里の園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)を出発し、与那原、佐敷の拝所を経て知念に入り、
ティダ御川(うっかー)を拝んで、斎場御嶽(せーふぁうたき)に至ります。
さらに知念グスク、知念大川(ちねんうっかー)、ヤハラヅカサ、
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)などをまわり、玉城グスクまでという行程で計14の聖地を
巡ります。
琉球開びゃくの神話や琉球王国にゆかりの深い東方(あがりかた)をまわる聖地巡礼、
最近では心とからだ癒すための”自己発見の道しるべ”として、
あるいは”健康的なリクエーション”として「東御廻り」をする人が増えています。
南城市の観光ポータルサイトより

余談ですが。
那覇にある末吉宮の上にある御獄は子年の人のものだそうです。

数年前、このコはことあるごとにそこに行きたがりました。
末吉宮に何か引き寄せられていたムスメは、そのうえの御獄に
用があったのかもしれません。

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