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6月23日 沖縄「慰霊の日」は、平和について改めて考える時間を持つ日

沖縄の普天間基地、忘れてはいけない平和について、慰霊の日に改めて考える ぶらっと記
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沖縄は、今日6月23日「慰霊の日」という日になります。

1945年、第二次世界大戦から実に69年目となりますが、
今なお、当たり前のように発見され、不発弾処理が行われたり、
今なお、戦没者の遺骨が発見されたり
今なお、年々更新される戦没者の数は、今年も追加され
約24万人と言われています。

そして、その名前は「平和の礎」にその名が刻まれていきます。

糸満市に在ります平和祈念資料館では、
その戦時中の防空壕の様子を再現されていたりなど、
たくさんの「痕跡」を展示しております。
そこには、戦争体験記なども数多くあるのですが、私には
幸いにも祖父母が健在なので、子どもの頃から実際に話を聞く事が
当たり前にできる環境にありました。
子どもの頃から、体験した祖父母自身も、
その全てを語ることができないほどの想いを
聞いてきました。

戦争体験者の中には、思い出すのが辛すぎて
何十年間も口を閉ざしてきたという方も多くいらっしゃいます。

ただ、「戦争になっても仕方ない」と思う子ども達が
ニュースのインタビューで出たりする最近や政策を危惧してか、
その口を開き、涙ながらに語る方も増えてまいりました。

戦争を知らない私たちが伝えるものとは、
やはり雲泥の差なんです。
言葉にならないその空気の重みを、肌身を持って
実感できるからです。

戦争を知らない私たち世代ができることを
今しっかり踏みしめて確認していくことが、
この「沖縄」に生を受けた務めだと感じています。

輝く力強い太陽の光と、やさしく包み込むような深い海の青の元
繰り広げられた戦争。
若く多感なときに受けたココロの傷は、口では言い表せませんが

どうか

メインな観光だけでなく、今も残るガマ(自然壕)や
資料館にも足を運んでほしいと思います。
今ある沖縄の影に存在し続ける部分にも触れてほしいと
思います。

その上に築かれてきた「沖縄」を感じてほしいと思います。

飛び交う弾丸、壕の中で自決を選んだ住民、
目の前で失う親や子、友人を想像できますか?

それでもなお「戦争になっても仕方ない」と言えますか?

地上戦が繰り広げられ、アメリカの統治下に置かれ、
ドルとパスポートの時代をすごしてきた沖縄。

戦後流通したお米は、米軍からのカリフォルニアローズ
というお米だったと聞いています。
復帰後に、本土から入ってきたお米も決して質の良いものとは
言えるものではなかったと聞いています。

当時を知る方々は、必ず
「本土で食べたときのお米の美味しさに驚いた」
と、口を揃えて話していました。

本土とスタートから違う米文化を持つ沖縄。

ここに今常識とされるような食育や
米のノウハウをすぐにあてはめると、
そこにズレが生じてきました。

そのズレを修復していくのが、
私たちお米に携わるものの役目だと思っています。


基地が県民の生活圏内に近いこと、
日常で忘れがちになることも、実は多いです。

私の娘が金武町で勤務しているのですが、
「砲弾の音かな・・以外と大きく聞こえるんだ・・。」

と呟いたことがあり、とりあえず携帯で録音して送ってもらったのが、
以下のものです。

思いのほか大きな音で、これが人気のない仕事場で聞こえるのは、
不気味であり、親としても怖くなった感覚は否めません。