”当時は「屈辱の日」という認識ではなかった様子”という言葉とともに
記載されていた小さな記事。
1952年4月29日付の沖縄タイムス社説では、まず「祝福」の言葉があって、
その後に「取残された溜息」と続いているのが分かります。
「4.28」
4.28サンフランシスコ講話条約発効から64年。
沖縄では「屈辱の日」と言われていることを
恥ずかしながら私は初めて知りました。
1952年、サンフランシスコ講和条約が発効しその結果、
沖縄が日本から切離された日が4月28日、
つまり、日本は国土を分断され、沖縄が日本では無くなった日なのです。
沖縄返還が単なる日本への返還にとどまらず、その当時、
他国に目を向けるとベトナム人民の不屈な闘いにリンクし、
歴史的由来を持って当時の革新陣営が設定したものでした。
簡単にここで書くことはできない内容でしたので、
関連記事の中から分かりやすいものをリンクしておきます。
2013年4月20日 琉球新報
⇒61年4月8日「屈辱の日」は生まれた 復帰協、総会で決定
観光立県「沖縄」。
年間の来沖者数はどんどん増加の一途をたどっています。
明るく、のどかな県民性がうたわれていますが、
その背景にあるものも、汲んでいてほしいと思っています。
どの県、どの国にもそれぞれの過去の闇はあるのかもしれませんが、
それらは沖縄の特異な過去でもあります。
⇒沖縄「慰霊の日」
先日、友人に
「これ、可愛いから渡久地さんに似合う♪と思って」
と、突然プレゼントをいただきました。
本土出身の彼女ですが、共通の食関係の仕事で出逢いました。
ココロとココロが繋がる関係、温かい気持ちでいっぱいになります。