久しぶりの映画レビューだけの記事です。
『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』
娘の勤務先の農園でのあまりに愛らしい野良猫との日々の写メや、
ウチに通いネコ「ティグリス」が来るようになって、
いつの間にかネコ好きになってしまっていた私。
私のように、もしかすると”いつの間にかネコ好き”の方は、
意外と多いのではないでしょうか^^
このような記事を書いてしまうほどにまで、
ネコ好きになっているのは事実です。
⇒可愛いだけじゃない、癒し効果もある「猫」に夢中です。
この「ボブという名の猫」は、もともとの口コミ評価も高く、
実話が元だという興味もあり、
レンタル開始が2月22日のねこの日の翌日、
すぐに近くのレンタルDVDに走りました(笑)。
すぐに探せず、しばらくうろうろした後に
思い切って店員サンに尋ねてしまうほどの本気具合に、
自分で自分に驚きました。
さて、あまり話してしまうと、
まだ観てない方の感想というかイメージが
私の感想に引っ張られても面白くないので^^ほどほどにしておきますね。
原題 「A Street Cat Named Bob」
興味を持ったのは、少し前に何かの特番で
この映画のことを話していたことがスタートでした。
その時に印象的だったのが、映画の主人公である
アマチュアミュージシャンのジェームズと怪我をした野良猫のボブが、
本物の茶トラ猫・ボブと薬物依存を克服したジェームズさんと
すごくよく似ているのです。
正しい表現ではないのかもしれませんが💦
観ると分かっていただけると思います。
それくらい引き込まれた物語、良い映画でした。
ボブという名の猫 簡単なあらすじ
簡単なあらすじは、ホームレス同然のヤク中のストリートミュージシャンが、
猫との出会いを通じて、人生を取り戻す・・・という物語。
途中、同じ薬物依存の仲間(?)だった人間の姿と、
もしボブがいなければそのままこのような人間だったのかもしれないという
目線になってしまったのではないかと思う瞬間がありました。
私としては、この瞬間も、彼を立ち直らせる1つになったと思うのです。
人はある時にしか自分を客観的にみることができません。
でも、それを見ることができたときに、大きく変われるのだと考えます。
ボブの存在は、小さいけれど大きな役目を持ちました。
ただ見つめるだけの愛くるしいボブ・・。
でも、多くを話さないからこそ、自分を内省する機会にも
恵まれたのではないでしょうか。
「誰にでもセカンドチャンスは訪れる。
でも、それを逃がしてしまう人は多い。
大事なのは挑戦を続けること、諦めるな。」
主人公は劇中で何度も何度も唄に乗せて歌っています。
”大事なのは挑戦を続けること、諦めるな”と。
それは、主人公のその時その時の状態で意味が違うかもしれません。
本当に、この映画は私の心に訴えてきたのもが多くありました。
親との関係性もしかり。
ジェームズは、(現代社会には多くあるような)複雑な親子関係でした。
ただ、薬物依存を克服し父親のもとに謝りに訪れた時に、
財布から父親が出したのは、古くなった幼いジェームズの写真。
「謝るのは私のほうだ。」と。
今回は私の幼少期の親との関係がフィードバックされました。
少しだけ、私の経験談に基づいたお話しになります
かなり「良いコ」を装っていました(笑)。
なかなか褒めてくれない親でした。
怒るとすごく怖かったので、怒られないように褒められずとも
起源を取れるような成績や評価を出せるように一生懸命でしたが、
結果、自己評価の低い大人になりました。
最近、自身のトリガーポイントに気づきましたが、
なかなか克服できずにいます。
だからこそ、私はすべてを表現してきました。
自分の子どもには怒ると叱るの区別の話し、
その時どう思い、どうどう感じているのかなどを話しあいながら、
そして、
大好きと伝えるべきところは伝えてきました。
でもまぁ、それも正しいのかはわかりません。
子ども達も私とは違う人間だから、違う感性をもっています。
そのときにちょうどいい愛情を注げて表現しあえるのはもちろん理想ですが、
私も含め、できてない場合がほとんどではないでしょうか。
今回の映画のように、
いつかその結果が出て、修正するときがくるのかもしれません。
でも、まわりの人々の「こころ」に気づき、
それを自分の未来への支えとして進んでいけた主人公ジェームズは
本来持つチカラ、「何か」があったんだと思います。
子ども達にも、必ずそのチカラがあると信じています。
みなさんにも必ず、その「何か」があり
その「何か」に気づいた瞬間に大きく花開くときが訪れますよ!
ボブという名の猫、奇跡のストーリーとして映画化までされました。
確かに奇跡としか言えないような内容もあるかもしれませんが、
忘れないでください。
諦めなければ、だれにでも奇跡は起こります。
もしかするとすでに訪れているのかもしれないということを。
ここまで綴ってふと思いました。
ジェームズの前に現れたのが、ボブという猫で良かったのかもしれません。
(もちろん、すごく愛らしいキレイな猫で
人目を惹くこともあり人気も出たというのはアリですが・・^^:)
ボブの存在は、小さいけれど大きな役目を持ちました。
ただ見つめるだけの愛くるしいボブ・・。
でも、多くを話さないからこそ、自分を内省する機会にも
恵まれたのではないでしょうか。
と、最初の方でも少し書いてあるのですが、
これが人間だったとすると、同じ人間の目で見てしまうので
どんなにいいことを話しかけたり諭したりしても
耳にも目にも入らなかったと思います。
猫という存在だったからこそ、自分の心の声に従い
自分の納得のいく方法を自分で決めてきたからこそ
強く進めたのではないでしょうか。
今までの”パターン”に固執していませんか?
人は安定を求める生き物。
そして、今までと同じ・同じだから当然、
そんな風に自ら枠に閉じ込めがちです。
本当に大切なことは、
いつもいつも、この一瞬ごとに世界は異なるということ。
美しく見える風景にも、その裏に隠された影が存在していて
丸く見える月も、常に満ちては欠けていきます。
世界が異なることの連続で起きていることに気づくと、
その違いを心で感じることができてくるはず。
昨日みつけたことに、
今日も同じように反応する義務はありません。
あなたが今この瞬間に感じていることで、
世界はういつでも新しい関係性をあなたにプレゼントしてくれるのです。
そして、何かを”願う”ことは、決心が固まっていることが前提です。
決心とは、すなわち「覚悟」。
願いを叶えるためには、それ相応の覚悟が伴います。
願いに向けての行動はもちろんのこと、
内外の変化を受け入れたり、
今まで避けてきたことにも直面せざるをえないかもしれません。
どこで何を決心するのか?
願いを叶えるヒントは、
さまざまな形であなたの元を訪れ、
あなたにその覚悟を問うでしょう。
覚悟と聞くと難しく感じるかもしれませんが、
幸せになる、願いを叶える!という想いがあれば大丈夫♪
あなたの「ボブ」は、何かしら^^
突然ねこ好きになってしまった、私の最初のねこ記事です。
⇒可愛いだけじゃない、癒し効果もある「猫」に夢中です。
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