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ネガティブな感情は押し込むな

好きなこと
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「想いは現実化する」

それってすごく耳にしますよね。

イメージしたことが現実化させたいときは
その状態になったことを想像して
わくわくすることが大切、とも耳にします。

でも、ついつい
「いやいや・・今こんな状態なのに
そんなこと叶うわけがない」
なんてこともつい思ってしまうわけです。

でもね。

ネガティブな感情は
押し込んじゃいけないんだって。

押し込んで我慢すると、
潜在意識に刻み込まれていくので
それを修正していく方がずっと
難しくなるんです💦

そんなときは
「そうだよね。今こんな状態だもん、
そう思っちゃうよね。
でも、私は〇〇なことも乗り越えてきた。
ここまでこれたんだから大丈夫!」
と、いったんきちんと吐き出して
それを認め、なぐさめてあげましょう♪

いったん出す!
これが大切です。

私もバイク教習で心折れた時は
ネガティブキャンペーンしてました(;’∀’)
でも、どこかで
「ここまで来たんだからできるはず!」
「あんな風に(憧れのライダーさんみたいな)乗りたい!」と思い返してきました。

実はそれだけじゃなく・・

私の歩んできた道って、どこかで否定する私を肯定し、あきらめるではなく”じゃあ、どうしたらそこに行ける?”と常に問いかける繰り返しできた気がします。

幼いころは大人の目をきにして
「頑張ったら褒めてもらえるかな」と
どこか寂しがりでぼっちなコでした(笑)。

小学生の頃。成績も良く大人しく責任感もあり常に学級委員や学期ごとに何かしら表彰を受ける代表的な優等生。

でもその裏には、大好きだった母親が自殺未遂しのち両親が離婚。
中学三年頃から次第に道をそれ始め(笑)、

なんとなく優等生のまま高校三年には飲み屋でバイトしたり家に帰らなくなったりし、十九歳にはかけおち同然で子供ができました。

働かない、就労しても続かない旦那と子供を抱え、子供を夜間保育に預け、泣く我が子に胸を引き裂かれながら飲み屋で働き、第二子が生まれた時にはついに夜も昼も働き、一か月で体重が10kgくらい激減しました。

電気や水も止められ、
借金から電話や訪れる人が怖くて
とにかく日々を過ごすことで必死でした。
まわりからおかしい状態でも、その時の私は
これが全てだったんですね。

でも

ある日、「普通に生活したい」
と思い始めました。
夜は子供と寝ることができてお金を気にするではなく、何が食べたいかでごはんのメニューを決める。

朝、仕事に行く前に100円の缶コーヒーを
躊躇なく買えるようになったら幸せ。
子供が病気になったら、健康保険を使って
ちゃんと病院に連れていきたい。

そんな幸せを描くようになりました。

 3歳になろうとする子と1歳なる前の子2人を抱え、離婚しました。

テレビもクーラーも無い状態で
職探しをしました。
どうにか月5万ほどのパートを見つけたのが米の世界への入口でした。

子供の預け先が保育園しかないため、
熱を出したら解熱剤を与え、どうにか昼頃まで切り抜け、自分が40度の高熱を出せば、とにかく保育園へ子供を預け、自宅で倒れこみ、また夕方迎えに行きました。

3歳の子が夜泣きをはじめ、おさまる頃に下の子が夜泣き・・
布団で寝ない日が続き、気が付くと習慣になっていました(笑)

ミシンが無いので保育園への提出物はすべて手縫い。なんだかんだで駆け抜けた時間でした。

それでも苦しい、ではなく「どうしたらいい?」と常に自分に問いかけていました。

ありがたいことに子供たちはまっすぐに育ち
問題を抱えることなく成長しました。

私が寝落ちすると
「母さん疲れているんだよ」とタオルをかけてくれたり学校でも
「母さん手に絆創膏だらけなるまで頑張ってるんだよ」と先生に話していたり。いつだって条件無しで私を慕ってくれていました。

米屋でも月5万の就労時間から10万ほどまで増え、抱えた借金は同僚の提案で債務整理し
いつの日か、販売機でコーヒーを買える日が来ていました。

ライフラインを止められず、何が食べられるかではなく、何が食べたいかで献立を決められる日が来ていました。

「普通の生活」を手に入れ、そこから私の新しい人生がスタートしたのです。

好きになっていた米屋の仕事でも
苦しい生活の中でも「こうしていきたい」という夢をなんとなく持ち続けていた私は
(いろいろ省きますが)お米関連の資格を取り始めお米マイスターにいきつきました。

今では

子供たちも大きくなり孫ができ、時には友達のような関係です。

とにかく好きなことを見つけてね。

その私の言葉を胸に成長した彼らは
しっかり自分の「好き」を知っています。

私自身も出版をしたり執筆依頼を受けたり
メディア出演や講座の開講、様々に
自分の好きを繋げる生活を手にしました。

本当は

まだまだ書きそうでしたが、私の話ばかりなのでこれくらいにします(笑)。

こんな一般的に言うと「終わってる・・」な私でもここまで持ち直し、進むことができました。

たくさんの支えと
ラッキーがあったのを感じます。

でもそれって

自分自身が諦めていなかったから。
ネガティブを押し殺すわけでもなく
上手く共存しポジティブでいられたから。

光の部分だけを見て影を知らないと
「な~な~、いいはず」
と言われることもありました。

今、あなたのまわりで輝いている人は、その光と同じくらいの影があったかもしれませんよ。

あなたも輝けます。

お金がない、時間がない、という言葉は
私には通用しません(笑)♪
お金がなくてもできることがあるし、時間がないのは作るまで気持ちが盛り上がってないだけ。

・でも
・だって
・できない
は何も生み出しません。

ネガティブになりそうになったら
いったん吐き出しましょう。

そして

「からのお~!」
と言い放ちましょう。
なんとなく気が軽くなります。

そのあとに
「さて、どうしたものか」
と答えを自分に求めましょう。

こうなりたい、をイメージしながら。

あなたにしかできないことがきっとあります。