6月28日(日)、先日収録分「ウチナー紀聞」の放送が
無事終了しました。
→「ウチナ-紀聞」撮影終了♪
「観たよ~」と連絡をくださった方々、
ありがとうございました。
先週は、おにぎりや日本のお米が何かとTVで
クローズアップされていました。
その締めくくり的なタイミングとなり、勝手に嬉しく思っています。
今回は、この放送だけではお伝えできなかった
「沖縄のお米」に関する内容をお届けしてまいります。
お付き合いください♪
<今よりも栽培が盛んだった沖縄のお米>
今日沖縄のお米産地としておおまかに挙げられる地域は
伊平屋村・伊是名村・名護市・金武町・恩納村・石垣市・竹富町・与那国町
となっています(「ウチナ-紀聞」撮影終了♪より)。
以前は沖縄でもあちこちで作られていたお米。
昭和30年ごろから砂糖の価格が上がったため、
多くの稲作農家がサトウキビの栽培へ移っていったという話を聞いています。
戦争が終わった後、昭和47年の本土復帰までの間
・外国から安いお米が自由に輸入されたこと
・干ばつが頻繁にあったこと
・大きい川がないため水不足になりやすく、多くの水を必要とする稲作がやりづらかった
などの原因から、お米の生産量が少なくなっていったという背景もあります。
そんな沖縄では、どんなお米が栽培されているのかご存知でしょうか^^
<沖縄のお米品種>
今でこそ沖縄で栽培されているメイン品種は、みなさんもご存じの「ひとめぼれ」ですが
意外にも、この品種の定着は1998年以降の普及で、1881年以前はちゃんとした記録がなく、
在来種やそれに近い雑品種が長く栽培されていたのであろうという見方らしいのですが、
そのあと羽地赤穂・名護赤穂および、羽地黒穂・中村種が選ばれ、
1930年に台湾から台中65号が入り、1934年に奨励品種に決定されるまで
続いていましたそうです。。
近世の米の品種はよくわかっていないようですが、
近世後期になって羽地赤穂・名護赤穂・羽地黒穂といった在来種が奨励品種とされたそうなので
(『沖縄大百科事典』より)、当時の品種もそのようないわゆる“古代米”だったのではないかと
思われます。
日本復帰後の昭和47年に、台中65号・トヨニシキ・ナゴユタカ・チヨニシキが主になり、
1998年以降にようやく「ひとめぼれ」となりました。
▼「沖縄県農業研究センター研究報告」より
沖縄県における水稲品種の歴史的背景を見てみると
1974 年までは「台中 65 号」
1975 ~ 1985 年までは「ト ヨニシキ」
1986 ~ 1998 年までは「チヨニシキ」
1999 ~ 2010 年(現在)は「ひとめぼれ」
以上が、主要な栽培品種の流れとなっています。
「台中 65 号」の沖縄県における平均収量は、他県産米と比較して収量が大きく劣る
ということから、他県並みの収量を確保することが1つの目標だったようです。
そのため,食味よりも多収性が重要視されてきた経緯がありました。
しかし,近年他県から良食 味の低価格米が県内へ入るようになると,
「トヨニシキ」および「チヨニシキ」は 多収ではあるが,
食味は他県の主要品種と比較して劣っている、という品種だと
食味が劣る多収米を生産しても消費者のニーズに合わず、県産米の消費が伸び悩みました。
この状況を打開するために良食味品種の導入が求められ,1999 年に良食味品種である
「ひとめぼれ」が沖縄県の奨励品種として採用された、というのが
沖縄のお米の歴史の背景にありました。
しかし「ひとめぼれ」は他県でも多く生産されているため,
販売価格が抑えられる傾向があり,差別化が可能な沖縄県独自の新品種の導入が
課題となっていました。
今回(独)農研機構・作物研究所により育成された低アミロース米品種「ミルキーサマー」。
沖縄県の奨励品種としての可能性を検討し続け、沖縄県農業研究センター名護支所および
石垣支所で栽培試験を行ってきた結果、「ミルキーサマー」は「ひとめぼれ」と比較して
収量性,食味とも良好な結果が得られ有望と考えられたのです。