3月初旬、石垣島へ圃場見学へ行ってきました。懇意にしてくださっている首里のお米屋さん「米ふぁみりぃ」山田さんは、石垣島に田んぼを持っていて、ご自身で沖縄県産米を栽培なさっています。このお話しはまた後日あらためて・・
3月~4月には沖縄は稲作開始です(2月後半の離島もあります)。
今回は沖縄本島、名護市の稲作のお話しです。
2004年9月2日に、沖縄県名護市の”羽地米”は
復活したそうです。
この名護市羽地は、かつての沖縄のお米所。
以前、米農家さんが
「稲作が現象したのは、都市への人口流出に加え、
1962年のキューバ危機に端を発した砂糖価格の高騰によって、
米からサトウキビへと転作によるものだ」とお話していました。
復活された”羽地米”は「台中65号」という品種で、
昭和5年に台湾から沖縄へ導入され、昭和9年に沖縄県の
奨励品種となり、以後、昭和49年に沖縄県の奨励品種が
「トヨニシキ」へ変更されるまでの40年間にわたって
沖縄県の水田で栽培されていましたそうです。
現在、主に栽培している「ひとめぼれ」に比べると、
生育が遅いため、台風などの被害に遭う確率が高く、
収量が少なかったようです。
ただ、当時の味を知っている方からは揃って
「昔の県産米は味があって、おいしかったさ~」
と聞くことが多かったです。
沖縄は、今ではあまり稲作のイメージがありません。
水田にできるような場所が限定されることや、
特に夏は台風が来なければ、まとまった雨が降らないこと、
その台風によって稲が倒される可能性のあることなど、
稲作向きの気候や地形ではない部分は否めません。
それでも失いたくない「沖縄の米文化」が
あると思っています。