「この~木何の木 気になる木~♪」
というCMでおなじみの方も多いはず・・・
3月始め。
私の息子が学校の研修旅行でハワイに行ってきました。
娘に続いて同じ高校の同じリゾート観光科というところにいるので
ウチは私以外、パスポートを持っています:^^
円高ドル安で日程などは変更があるようですが、
必ずコースに入っているのが、ハワイの「大きな木」(笑)。
ワイキキから車で30分くらいのモアナルア・ガーデンパーク
(ホノルル空港に近いです)に、日立のコマーシャルで有名な
「この~木なんの木、気になる木~♪」の木があるそうです。
(1973年から使われているそうですよ。)
この木は「モンキーポッド(アメリカネム)」といわれる木で、樹齢は約130年!
実はこの公園はもともと個人のもので、日立がお金を出して契約しているもので、
契約費は年間なんと40万ドル(約4000万円)というから驚きですよね。
今は無料で一般に公開されています。
このすごい大木は日本人のみ(笑)にとても有名なので、
「日立の樹」という名前がついているようなので、面白いですよね。
幹に触ると、癒しのパワーがあるようですが、
この子たちはパワーを感じることができたのでしょうか(▽//)
ホテルからの景色くらいしか息子の携帯画像には写真がなく・・
「いっぱい写真撮るから」と出発前にifhone6Sに
機種変までしたかいはあったのだろうか。
と・・ふと疑問に思い、研修目的であった
「同じ観光立県として似た環境にあるハワイで学ぶこと」は
何があったのかを尋ねてみました。
「沖縄と似てたなぁ。むしろ沖縄の方が気候的には過ごしやすいかも」
・・・しばし言葉を失いましたが、横で娘は激しく共感していました。
海やリゾート目的で海外へ行ったことのある沖縄の人が
たぶん口にする言葉らしいです。
よそへ行って地元の良さを再確認するという観点で気づきを得、
勉強していってくれるといいのかもしれません。。
充実したお土産を見ると、どれだけ楽しんできたのかは一目瞭然でした。
修学旅行のない高校なので、進路決定で忙しくなる3年生になる前の
思い出作りも兼ねた研修旅行だったようです。
おかえり♡
とりあえず、無事帰ってきてくれたことに感謝しています。
この旅行で何を思い、感じたのか。
深くは聞ける年頃ではありませんが、きっと本人なりにあると思っています。
将来何をするか、というのは進路決定で常に聞かれることです。
以前は安定や将来性、永久就職的な発想で、公務員が人気だっただろうし
人気企業というのもたいてい決まっていました。
しかし、最近ではそれも変化があり
今の子ども達(その時ラジオで流れていたのは大学生の話でした)は
条件や待遇よりも、(仕事の)内容や環境を重視するそうです。
それは、社会への貢献度やコーポレーションカラー、やりがいなど。
この話を聞いていて、私はなんだかすごく頼もしい気分になっていました。
将来、この先の仕事を今この若さで決定しなくていいし、
できるとも思っていません。
私自身、18やそこらでお米の仕事をするなんて思ってなかったし、
30過ぎた頃でも、まさか自分が人前で講師をするなんても思っていませんでした。
今この世界はたくさんの職業で溢れています。
消えゆくものもあれば、形を変えるもの、新しく登場するものもあります。
そう、もしかすると、これを読んでいるあなたやあなたの子ども達が
その先駆者にもなる可能性のある時代です。
「if you can dream it,you can do it .」
( Walt Disney)
「夢みることができれば、それは実現できる」
(ウォルト・ディズニー)
ハワイとお米
さて、ここで少しハワイとお米について少しお話ししたいと思います。
ロコモコやスパムおにぎり、沖縄とも馴染みの深いハワイ。
同じようにたくさんの文化が入り混じっている場所、ハワイです。
なので、お米もたくさん種類があるようです。
(実際の画像がなくてすみません)
・ジャスミンライス
・韓国のお米
・日の出(HINODE)ブランド
>こちらは、Hapaブレンドと言って、白米と玄米などミックスされたもの。
「もちもちしてて好き」という日本人の声もありました。
・カリフォルニア米
>米袋に日本語で”かがやき”などと書かれていたりするようですが
ほとんどがカリフォルニア米だそうです。
・玄米の「玉錦」
ハワイでは、玄米(ブラウンライス)が人気だそうですよ。
いつかハワイでお米&おにぎりのショップをしたいな・・というのが
実は少し私の夢でもあります(笑)。
ハワイの稲作
お米、ときたので、今度は少し稲作についても調べてみたくなりました。
リゾートアイランドとしてのハワイと言えば”ワイキキ”。
ワイキキとは「湧く水」という意味、その地の利を活かして昔からタロ水田、
養魚池などが造られていましたというのを知りました。
100年以上前に、日本から一時は20万人ともいわれる人々が
サトウキビのプランテーション労働者としてハワイに移民としてやってきて、
田んぼで米をつくっていたそうです。
じつは高層ホテルが立ち並ぶワイキキビーチも昔は田んぼだったということ、
ハワイではお米をつくっている人がもういないということ、
「昔は米作をどのようにしていたのか知りたいと思い、日系のお年寄りに出会うたびに
訊ねるのですが、誰も知らないと言います。
どうやらハワイの米作は日系移民1世の代で終わってしまったようです。」
ということも知りました。
19世紀半ばまでハワイの経済を支えていたクジラ(鯨油)産業が、
1860年代、灯油によって鯨油がとって代わられ、急速に衰退してからは、
主に砂糖と米の生産がハワイの主産業になった、というところは、キューバ危機で
稲作からサトウキビに転作していった沖縄の歴史ともなんだか似ている気がしてきました。
ただ、詳細の文献が手元にないので、以下のサイトに
今の私の時点で知りえないことがたくさん掲載されていたのでリンクをしておきます。
→玄のリモ農園ダイアリー
沖縄の米文化を紐解いていきたい私ですが、
全世界的に調べていきたい・・と想いを馳せています(▽//)
→沖縄、稲作ルーツ巡り